T・ZONEの思い出 その2 「はじめての自作PC」
2015/03/04
さて、昨日(昨日?)の続きである。
WINDOWSブームは同時にPC文化の大衆化であり、新しい市場の誕生でもあった。
キューハチからDOS/Vへの急激な変化に伴って、PCの自作ブームが生まれた。
ずっと、あこがれはあったけれどお金が無かったので、初めて自作したのは、大学に入ってからだった。
初めてPCを自作しようと思い立った理由は、「自分の好きな構成で作ってみたかった」という、しごく単純な理由であった。
その時はだいぶDVDが普及してきており、パーソナルホームシアター的なことがPCでも出来るようになっていた。
では、せっかくなのでDVDを視聴するのに最適化したPCを作ろうと思い立った。ついでにゲームも出来るやつ、と。
と、いうわけでグラフィックボードは迷わずATI社のものにした。当時はDVD再生支援なんて機能が前面に押し出されている時代で、その中でもATIの画質には定評があった。今でも画質はATIって風潮があると思うけど。
自分は昔から「なんでも出来ちゃう」系に弱い人間である。
なので、この時も何とTVも観れちゃう!オールインワンダーというボードを買った。これがデバイスドライバのアップデートが大変で大変で何回泣かされたことか・・・というのは、まあ別な話。
サウンドブラスターは鉄板アイテム。ていうか、音なんて何でもいいって人以外は基本これにするよね?5.1chスピーカーも同じくクリエイティブのやつ。
CPUは当時ファミカセwと言われていたAMDのSlot A 「Athlon」。
マザーボードはAOpen(調べてみると地元企業だったので。黒いボードもカッコ良い。後にエラー音をギャル語でしゃべるってことで有名に・・・って、あれ初めて聞いたときは嫌な感じにビビるよ)。
筐体は超奮発して、出初めだったアルミケース。パーツの中で一番高かった。
CD-Rドライブは信頼のプレクスター。もちろんメディアは太陽誘電(『イリアス』と問われると、読んでもいないのに『オデュッセイア』と答えるのに似ている。文系のヒトに尋ねてみよう!)。
まあ、こだわったのはこの辺りのパーツ群でした。
主にこれらを今は亡き『PC-DIY』誌にて情報を集め(今考えると偏った情報だぞ)、初の自作パソコンは特にトラブルも無く完成した。
思えば、この頃はメーカー製PCはとても高価で、尚かつ個性的なものはあまり無かったように思える(FM-TOWNSとかX68系とかは除く)。
そういう理由から、今ではあまり考えられないが、安く作るなら自作で!という人を中心に自作ブームは盛り上がっていた。
自分は始めからマルチメディアでゲームマシンで~という考えだったけど、15万円以内でという制約をつけていた。
自分で予算を組めるのも自作PCの良いところ。この予算枠は今でも変わりません。
そして、実際用途からマニアックな要求まで応えるPC自作市場は広がりを見せ、中央通りはソフマップを中心に、裏通りはツクモやドスパラ、クレバリーなど多くの店舗が競争を強めて行きました。
現在では「PC自作=メーカーより安い」は過去の話となり、自作PCパーツショップは、中型店以上の店においては、パーツの組み合わせで独自のPCを作って売る、いわばセミカスタムメイドのPCを売るなど、工夫を重ねて生き残りをはかっています。
それでもまだ自作PCには需要があります。
それに関してはまた次回。明日?そんな先のことはわからないよ。
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